☆母は、荒野のGun Woman!!だった・・・。の巻!!☆

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    ☆突然ではありますが私が初めて銃を手に

    したのは、2歳の時で日本の刀はそれ依り

    も1年半遅い私が3,5歳の時でありました。

    とは言っても勿論、銃は本物ではなくモデ

    ルガンだったのですがそれでも当時は、プ

    ラスチック製のモデルは無く全て金属モデ

    ルだったので真面なGun Play Action!!が、

    出来る様に成るのは小学校の1年生の時で

    此の頃の日本では、一大Western Boom!!

    が巻き起こっていました・・・。(・o・)」☆

     

     

    そんな物心も付かい頃の私に銃を持たせた

    のは何を隠そう私の母でした・・・。

    母は、勿論戦前の生まれだったのですが、

    母の兄である私の叔父に銃の扱いを小学生

    の時から教えて貰い自分が中学3年生になっ

    た頃には既に自身の兄の腕依りも上手く成っ

    ていた様です・・・。

    残念乍ら。私の母は思いっきり。Japanese!!

    なので白人女性が持っている様な美しさは、

    持ち合わせてはいませんでしたがそれでも。

    射的の名手で縁日には、その射的の腕前で、

    私と私の弟に射的で欲しいおもちゃやお菓子

    を取ってくれたもので撃ち終わった後には、

    よくライフルをピストルの様にクルクル!!

    とよく回しているその姿は、自分の母乍ら

    カッコ好いなぁ~!!と思ったものでした・・・。

    (^_^;)」☆

     

     

    銃の分解結合も物凄く適確で素早かったの

    を覚えています・・・。

    我が家のお恥ずかし部分をカミングアウト

    してしまいますが此の様なものは普通は、

    お父さんが趣味に持っていると言うのが、

    一般的なのですが私の父は、天気鋭的な

    亭主関白では有ったもですがこれまた貧乏

    坊ちゃんだったのでこの手の物は点でダメ

    でしたので本当は、興味が有っても余り

    話題には触れない様にしていました・・・。

    此れは、昭和の男のプライドを傷つられ

    たく無かったからなのです・・・。

    (^_^;)」☆

     

     

    また、私が放浪次第にお世話に成ったお宅の

    では、おばあちゃんが銃で創作物を狙う狐等

    に対して発砲していましたが此れは日本国内

    では無くイギリス。ドイツ・旧ソビエト領諸

    国の女性達でした・・・。(・o・)」☆

     

     

    日本国内では、非常に少ないですが海外では、

    こんな感じのお婆さんが意外にいらっしゃい

    ましたよ・・・。(^_-)-☆

     

     

    現在でも。偶に子供達にGun Play!!を見せたり

    教えたり出来ているのは、以上の理由からで人

    は幼少期に覚えてたものは、一生ものであるの

    で将来秀才と凡人に分かれ道と成ってしまいま

    す事実国立大學へ進学し博士課程を終了した方

    等の幼少期の頃を事をお聞きして見ると。

    皆さん共通している事は、一般教養としての学

    習を始められている事で、私の場合は銃が無い

    処か?軍隊も無い国でこんな何の役にも立たない

    ものを何故故に?教えたのかは未だ謎の間々なの

    です・・・。(-_-;)」☆

     

     

    それでも。Gun Woman!!は、かっこ良かった!!

    事だけは、事実だったと思います・・・。

    ですが、そんな母でもマシンガン等のもろ戦争

    で使用しているような軍用銃は、嫌っていまし

    たので当時、幾ら強請ってもTV映画コンバット

    でサインダース軍曹が持っているトミーガンや

    ドイツ軍が持っていたシュマイザー等は買って

    は貰えませんでしたのでこれ等は、母には隠し

    て祖母に買って貰いました・・・。(-_-;)」☆

     

     

    Gun Play!!としては、男性が行う依りもしなやか

    なAction!!が出来る女性の方がカッコ好かったと

    思いまます。

    最近では、モデルガンやエアーガンを練習したり

    すう事が出来る場所も殆どなくこのアイテム業界

    は可也規模が縮小されてしまいましたが今でも。

    若かりし頃の華麗な母のGun Play!!は記憶に今で

    も残っています・・・。(^_-)-☆

     


    ☆戦前昭和の女子学生達の巻!!☆(北九州編)☆

    0

      ☆美人はとはいったい何処に居るのか?

      等と言うお話しは以前にもご紹介させて

      頂きましたが近年ではプライバシー保護

      法の為、美人な方を発見しても中々真面

      な画像がお伝え出来ない事が残念であり

      ますので今回は基本100年近く以前の九

      州人女性をご紹介して参りましょう!!

      (^O^)/☆

       

       

      戦前・戦後に於ける美人な女性のお顔と言えば、

      此方の方の様な奥二重の瞳か大きな一重瞼を、

      持つ女性が美人の魅力を持つ最大の要素と成っ

      て降りましたので寧ろ大きな二重瞼の瞳を持つ

      女性は美人ではない。と言われていた事を記憶

      して降ります。(・o・)」☆

       

       

      それが白人女性の様な大きな二重瞼の瞳を持つ

      女性が好まれたのは意外に遅く外国人女性のグ

      ラビアが流行した後の80s,代に入ってからの事

      で事実70s,代迄は、歌手の山口百恵さんの様な

      キリッと!!した奥二重の瞳の女性が好まれてい

      たのも事実でしたが北九州地区の女性達は戦前

      から現代人風のお顔だちで当時から時代を先取

      りしていた様に思います。(^_-)-☆

       

       

      此方の女性は、北九州の某所で親族の方が新家

      を建築された時に捨てられてしまうところを私

      がお助けした写真でその家の曾祖母さんらしい

      ですが髪型と着用している着物から判断すると。

      大正時代の女学生時代に撮影されたものと推定

      されます。

      此のスタイルで撮影された写真は私の曾祖母も

      女学生時代に撮影された写真も同じスタイルで

      すがそれは大正時代に撮影されたものでは無く

      明治時代撮られたもので勿論、此方の方依りも

      年齢は私の曾祖母の方が上、と言う事に成る訳

      ですが、失礼乍ら。当時の神戸市と北九州地区

      では時代が数十年女性のFashion Style!!として

      は遅れていた事が確認出来ます・・・。

      とは。言うもののご本人がお美しい方である事

      には間違いの無い事実ですよね!!(^_-)-☆

       

       

      此方は、1934s,(昭和9年)に流行した当時の流行歌

      である”九段の母”の寸劇を北九州某所地区での町会

      のタツ子さんが演られた時に撮影された写真ですが、

      九段の母は、戦死して神と成り東京九段に位置する

      靖国神社に祀られている我が息子に会いに杖を突い

      て独りで故郷の田舎から上野駅経由で会いに行くと

      言う歌詞の歌でしたので設定では九段の母とは。

      九州ではなく東北から北のArea!!に住む”母”と言う

      お話しに成ります。

      此処で注目して頂きたいところは彼女の胸元でに

      あり上段の画像の女性とは微妙に胸元の開きが異

      なっていますが此れは当時女性が胸元を開くと言

      う事は、”男を誘っている!!”とされ憲兵や特攻警察

      に一般警察官依り”殴る!!”と言う名の指導を受けて

      しまう事に成りますが流石に昭和時代にも成ると西

      洋文化でもある洋服が一般化し始めるので胸元も少

      しづつ開いて行きますので昭和・大正・明治の段階

      で女性の胸元は閉まって行きます。(・o・)」☆

      でも。此方のタツ子さんも老け役でお婆さんの役を

      演じられたので此の様なStyle!!をされていますが、

      本当にお綺麗な方ですよ!!(^_-)-☆

       

       

      戦中勿論の事、戦後である昭和20年代頃迄は、

      小学生の女ん子のスカートのストラップ部に

      は当時のお母さんのお手製の名札を直に縫い付

      けていましたが本土ではバッチ式の名札に既に

      変更されていました。

      現在でも本土である。神戸・大阪・京都・名古

      屋・横浜・東京と比べても九州人女性のFashion

      性は異なっています。

      相対的に見てベテラン女性世代は本土の女性依り

      も物を大切に扱っている事が分かりますよ。

      現代・九州女性の記事についてはま別の機会にご

      紹介致しますのでお楽しみに!!(^_-)-☆

       


      ☆60s,代の美しさと可愛い?!の巻!!☆

      0
        ☆今回は、60s,代の女性の美について考察して見たいと思いますぅ!!(^O^)/☆
         私が子供の頃の美人とは?先ず目元はキリッ!!とした一重瞼の女性が、
         美人とされ未だ現在の様な西洋スタイルの完全な形の二重瞼の方は姑様で有る
         明治人女性達からは、表現は不適切ですが野蛮人的なイメージの表現をよく、
         話していた事を記憶して降りまが此れは、1945s,(昭和20年)迄の大日本
         帝国政府の教育の関係で西洋スタイルを認め様しない教育を受けた影響に、
         依るものからでした。(-_-;)」☆



        此方は、1966s,(昭和41年)9月2日に発刊された京都美人の紹介的雑誌
        のスチールでこの時代の日本の美人の代名詞は、”京美人!!”でその理由
        としては和服姿が、”大和 撫子!!”の美とされていた為に一般人女性
        の和服の着用率が他府県よりも多かった事で此れは現在も同じで私も母が、
        京都の人でしたから現在もタキシードは、持っていませんが自分の紋付き
        袴は持って居ますよ!!(^_-)-☆



        併し、昭和30年代後半にも成って来る洋画等の影響が強く成り当時の若者達は、
        ハッキリ!!とした表情を持つお顔の方を好む様に成り各種製品等のCMでも流行を、
        追ったモデルさん達が起用され始めます!!(・o・)」☆
        又、大人・子供を問わず髪飾りの”スリーピン!!”が流行したのもこの時期で、
        この時代は我々男子の目から見ても女の子が髪の側面に花柄等の髪飾りを付けて
        いるだけで、”可愛い?!”と言った先入観が有りましたもの・・・ね!!(^_^;)」☆



        また、パーマネントウエーブもこの頃から一般化されて行きますが、
        当初は電気こて等で熱を加えて髪を無理やり曲げた髪を強力スプレー
        で固めていただけだったのでお年頃のお姉さんのいらっしゃるお宅へ
        日曜日も朝等に訪問すると。まるで”実験に失敗して大爆発を起こした
        研究室から出て来た博士?!”と言った状態の当時の娘さんをよく見ました。
        私は、思わず!!”わぁ〜っ!!山姥!!”と言って物凄く怒られた事を、
        記憶して降ります。(^_^;)」☆
        女性の場合は、当時の男性の様に手を掛ける事は有りませんでしたが、
        理由や状況を確り理解する間も無く。”瞬間湯沸し器?!”の如く直ぐに、
        怒るのは現代人女性でも共通している事かも知れませんねぇ〜っ!!(-_-;)」☆



        綺麗なお肌やお顔?と言ったキャッチフレーズのポスター等は常に、
        こんな感じでしたね!!(^_^;)「☆
        思い出して見て下さい!!当時の薬局・薬店のカウンターにはこの様な
        POPが飾って有ったでしょ!!
        因みに薬局には、法律により常時各都道府県に届けを出し許可を得た
        国家資格を有する管理薬剤師が必要ですが薬店とは。薬方とも言い予め
        医師や薬剤師に依り調剤された未開封の薬品の販売代行を各都道府県に、
        届けを申請し許可された者が限定された薬品を販売する事が出来ます。
        従いまして、薬局と薬店の違いは、薬品を調剤するかしないか?
        ですが現在は、調剤を必要としないドラックストア等でも薬剤師さんが、
        常駐しています。
        此れは、薬剤師さんが国家資格を有した他のジャンルの方よりも失礼ながら、
        経営者側から見れば安価なお給料で勤務して頂ける事も理由の一つとして、
        挙げられています。(・o・)」☆



        昭和40頃の市電や市バスにの風景は、日中にはこの様に女性の車掌さん
        が乗務されていましたがこの時期のカラーフィルムは、輸入ものKodak!!
        位しか無く大変貴重なアイテムでしたのでこの様な何気ない日常生活風景
        を撮影する事は余り有りませんでした。(・o・)」☆
        この写真では、男の子が手にしている明治製菓さんのカラーチョコボール
        の初期タイプの箱が大変貴重と言えますね!!(^_-)-☆
        現在で言えば、m&mのカラーチョコレートが一番近いでしょうか?
        昭和40年代に廃盤と成った製品なので今と成っては、空箱のみでも物凄く
        高額なノベルティー・アイテムと成っています。(^_^;)」☆
        因みに、此方の可愛い男の子の現在の年齢はもう50歳を裕に超えて、
        しまってもう還暦・・・に。(^_^;)」☆

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