☆わろてんかの衣装の巻!!☆(最終編)☆
☆等々、本日で朝ドラのわろんかの放送
が終了してしまいましたので少し寂しい
感じです・・・。
NHKの朝ドラは、4月からの放送の前期
分は、渋谷で撮影され10月から放送され
る後期分は大阪放送局で製作されていま
すので、此の作品の題材にもなっている
吉本興業の本拠地が此処大阪には、位置
している関係からも渋谷の作品依りも。
大阪放送局の作品の方が、関西人取って
は何時も馴染のある吉本新喜劇等の芸人
さんのお馴染の”ギャグ!!”なんかを朝ドラ
で見る事が出来るので楽しいですよね。
(^_-)-☆
此方は、1945s,(昭和20年)3月の米軍の大空襲
に依る火災にに依り焼失した北村笑店(株)の社
長のデスクですが、当時は木造の建築ですので、
ゲル化油を有したナパーム弾(焼夷弾)が瓦の屋
根を突き破って炸裂していましたので全てを焼
き尽くし此の事務所で内に残ったものとしては、
恐らく向かって右側に見えている金庫と屋根の
瓦位でしょが、当時は耐火金庫ではないので金
庫の外身は残っていても中身は完全に炭化して
しまっています。
昭和50年頃迄は、戦災金庫が時々屑鉄屋さんの
野外詰め所等に置いて有るのを時々見掛けた事
がありました・・・。
また、大阪の空襲は、3月から8月迄の合計8回
ありましたが、風鳥亭は3月に火災に遭ってい
るので第一回目の空襲で被災している事に成り
ます。因みに天満風鳥亭の近くには、当時大阪
砲兵工廠等の軍事工場があり大型の陸軍の火砲
や戦車を製作している施設が近くにあったので
何れにしても終戦迄は、先ず持ち堪えることは、
厳しかったと思います。
そこで謎なのは。京都市内は終戦迄爆弾は落ち
ていないので、藤岡てんの実家は家屋もその間
々で食べるんものも着る物もあった場所に居て
てんの妹、藤岡りんは何故滋賀の米原に疎開し
ていたのでしょうね・・・。
余談でしが、終戦直後の大阪は事業や人の生活
が成りって行かなかった為に、今度は多くの人
々が京都へ就職疎開していました。
その当時の京都の祇園等は、進駐軍(米軍)の観
光Spot!!となり日本全体が貧しい時代の芸者の
太裕元等は、好景気の左団扇で暮らしていまし
た・・・。(^_^;)」☆
さて。此方が藤岡てん役の葵わかなさんが、
撮影で何時も着用されていた衣装ですが、
勿論、私はご本人にお会いした事はないの
ですが、此の衣装に入る人と言う事は可也
小柄な方なのだなぁ~?!と感じました。
(^_^;)」☆
そして、此方が武井トキ役を演じられた徳永えり
さんが着用していた衣装ですが、風太とのやり取
りの中であれだけ大きな声を上げて存在感があっ
たのに実際にはこんなに小さいな方だったんだ?!
と驚いてしまいました・・・。(^_^;)」☆
反対に男優さんの松坂桃李さんの衣装等は、
非常に大きいので背の高い方なのだなぁ~?!
って事が分かります・・・。(・o・)」☆
此方は伊能栞役の高橋一生さんが着用していた
た衣装なので矢張りスラットした背の高い方な
のだな・・・。と言う事が分かります。
”さぁ~!!どうだろぉ~?!”(^_-)-☆
それに対し。風太の衣装はテレビで見たイメージ
通りのサイズでした・・・。
浜田岳さん。すみません・・・。☆m(__)m☆
でも。会場に来ていたチビッ子達は、此の衣装
を見て。”ママ見て。風太やぁ!!”と言って指差し
してましたから一番人気でしたよ・・・。
(^_-)-☆
子供達にして見てれば矢張り風鳥亭の漫才や風太
おトキのトタバタ活劇が、”おかさんといっしょ。”
依りも受けていました・・・。
今年後期のNHK大阪放送局で放送予定の”まんぷく”
は、これまた。大阪に本社を置く日清食品(株)の
インスタントラーメン開発のお話しなので今度は、
どんな吉本新喜劇の芸人さんがドラマに登場され
るのかが、楽しみです。
撮影はゴールデンウイーク位から先ずロケからス
タートする見たいです・・・。(^_-)-☆
- 2018.03.31 Saturday
- TV&映画の小道具(国内)
- 08:17
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- by GEKKO